東京臨床心理療法カウンセリング学院 代表 中野日出美 プロフィール

「なぜ私が死ななければいけないの?」

今から十数年前のある日、私は医師から

「小腸、腎臓、子宮、卵巣に、
腫瘍らしき影があります。

はっきりとは言えませんが・・・

ガンの可能性が高いです」

という宣告を受けました。

すぐ入院、手術を勧める医師に、

「無理です・・・

家には保護した犬たちがたくさんいます。

手術はできません。

入院もできません」

と、私は、頑なに拒みました。

そんな私を見て、医師は

「何を言っているんですか!

命がかかっているんですよ・・・」

とあきれ顔でした。

しかし、どうしても言うことを聞かない私。

さじを投げた医師は

「とりあえずこの薬を飲んで、
安静にしていてください。

もしも、急な高熱が出た時には、
すぐに救急車を呼んでください。

小腸が破裂している可能性があります」

と、不承不承、許してくれました。

医師とのこのやりとりの数日前に、
私は、右下腹部に痛みを感じ、
精密検査を受けました。

検査の結果を聞くために、家族も呼ぶように、
医師から言われていたのです。

ある程度、覚悟はしていました。

しかし、さすがに驚きを隠せず・・・

ボウーっとしてしまいました。

「告知って、

すぐに本人にも、するんだね。

昔と違うんだね・・・」

帰宅するタクシーの中で、つぶやく私に、
家族は何も答えられませんでした。

検査の結果を受け入れられなかった私は、
翌日もその翌日も別の病院に行き、
同じ検査を受けました。

しかし、すべての病院で、同じ結果でした。

私は、いよいよその結果を、受け入れざるを
えなくなったのです。

自分なりに本を読みあさり、
病状に照らし合わせて、
今後の経過を予測しました。

当時の私はまだ若かったので、
素人判断ですが、おそらく余命は、
そんなに長くはないだろう・・・
と、思いました。

私の周りの物すべてがまるで、
色を失ったかのように感じられました。

当時すでに、私は、心理セラピーを手がけ、
前世療法などのトランスパーソナルセラピーも、
提供していました。、

おそらく普通の人よりも
「死」を受容しやすい環境にあったと
思います。

だから、昼間のうちは、落ち着いて、
いろいろなことを考えられました。

ところが、夜になり、家族も寝静まり、
窓の外の灯りも消えると

「なぜ、私なの?

何にも悪いことをしていないのに・・・

なぜ、私が死ななければならないの?

子ども達にはまだ母親が必要なのに。

犬たちはどうなるの?」

と、混乱と絶望、怒り、悲しみという
混然とした感情が込み上がって来ました。

それからしばらくして、

ようやく「死」を受け入れるしか、
子ども達と犬たちを守る方法はないと
気づきました。

そして、入院準備を整え、子ども達を
呼びました。

子どもたちへの遺言

当時、娘は高校1年生、息子は中学2年生
でした。

ほとんど寝たきりになってしまった
母親の状態を見て、子ども達は、
ただ事ではないことを、予期したはずです。

しかし、反抗期真っ盛りの息子は、
ソファーに座り、ぷいと横を向いたままでした。

「もうわかっていると思うけど・・・

お母さんはもしかしたら、来年の今ごろ、
いないかもしれない。

だから、今のうちにあなた達に、
遺言をしておくね」

この時、私は子ども達に

「お母さんがいなくなっても、

ちゃんと勉強して、

いい大学に入って、

いい会社に就職して、

安定した人生を歩みなさい」

というようなことを、言おうとしていました。

ところが、私の口から出たのは・・・

「今はまだ、お母さんに反抗的かも
しれないけれど、

きっと大人になると、

『もっとお母さんに、
親孝行してあげればよかった・・・』

と思う時が、くるはず。

それに、あなた達はこれから人生で、
いろいろな選択を迫られるでしょう。

大学はどうしようか?

仕事はどうしようか?

結婚は?

子育ては?

離婚は?・・・と。

その時にきっと、

『お母さんだったら、なんて言うだろう』

と考えると思う。

だから、その時のお母さんの答えと、
親孝行の仕方を教えておくね。

もしも、人生の選択に迷った時、
目をつぶって、自分に問いかけてみて欲しい。

『どちらが、自分をワクワクさせるかな?』

『どちらが、本当に自分がやりたいことかな?』

そして、迷わず、自分をワクワクさせる方、
本当にやりたい方を、選んで欲しい。

たとえ、それが世の中的には、
損なことだったり、人から見ると、
まったく遠回りなことであったとしても、
誰かの迷惑にならなければ、
それを選んで欲しい。

そして、

『今、自分には目指すべき目標がある。

今は苦労しているけれど、

幸せに向かっている』

と感じたら、それこそが、

お母さんを親孝行していることだ

と思って欲しいの』

と、いうようなことでした。

ちょっと自分でも意外で

『私、いったいなに言ってんの?』

と思いましたが、

その後すぐに、

『ああ・・・

これが子ども達に、本当に伝えたかったことだな』

と感じました。

娘は泣いていました。

そっぽを向いている息子の目も、
真っ赤になっていました。

39度6分の高熱が・・・

犬たちの処遇も決まり、心の準備ができると、

私は、自分で探した病院で、手術を受ける
準備をしはじめました。

手術をして、取り切れるものは取ってもらい、
あとはできるだけ家で、いつも通りに
過ごそうと決めていました。

そんなある日、私は39度6分という
高熱を出しました。

とうとうきたか・・・

と思い、救急車を呼ぼうとした時、
ふと思いました。

「ああ、ずっと寝たきりで、
お風呂に入っていないな・・・

このまま手術を受けたら、
またしばらくお風呂に入れない。

そうしたら、看護師さんに迷惑だな」

まったくもって、こんな時にも、
マイペースな私ですが、重たい体を
ひきずってお風呂に入りました。

ところが、衰弱している私は、
腕に力が入らず、満足に体も髪も洗う
ことができません。

すると、

そこへ高校生の娘が入ってきてくれて、
ぜんぶ洗ってくれました。

入浴後は、服を着せてくれ、
髪を乾かしてくれました。

その時です。

娘が急に後ろから、抱きついてきました。

「ああ・・・

泣くんだな。

そうだよな。

当然だよね。

母親が、死ぬかもしれないんだから・・・」

ところが、

娘は泣きませんでした。

「お母さん、大丈夫だよ。

お母さんは死なないよ。

私が守るよ。

治してあげるよ。

お母さんは、まだまだやらなきゃならない
ことがあるんだから、

死ぬわけないよ。

家のことは大丈夫。

ぜんぶ私がやっておくから。

何も心配しないで、

安心して治療してきて」

と言うのです。

その瞬間、

私の体の中に、まるで高圧の電流が走った
ような感覚を覚えました。

今まで、私が抱っこし、育て、守ってきた
子どもが、今は、私を抱きしめ、
守ってくれようとしている・・・

これこそ、私が人生をかけて、
渇望してきた感覚だ!

と感じました。

もうこれで、思い残すことはないなあ・・・

なんて思ったのも覚えています。

夜中に運び込まれた病院で、
検温をすると・・・

なんと!

体温は、36度8分になっていました。

右下腹部に痛みを感じるようになってから、
ずっと何週間も微熱が続いていたのに、
ほとんど1か月ぶりの初めての平熱でした。

とりあえず、緊急な事態ではない、
と判断された私は、家に戻りました。

翌日、CT撮影のレントゲン写真や紹介状
などを持ち、自分で探した病院に行きました。

その病院では、またCTや血液、内視鏡など
の精密検査を受けました。

そして、医師からは・・・

「たしかに、
お持ちいただいたCTの写真では、
4か所に影があるのですが・・・

うちでのCT検査では、
何も影が見つかりません。

また内視鏡や血液検査の結果も、正常です」

と言う医師に、私は・・・

「は?

でも、数か所の病院でも、
同じ結果だったのですよ。

手術してください!」

と、食い下がりました。

「手術って・・・

何を手術すればいいのですか?

内視鏡でも、何もないと、

この目で確認しているのですよ。

こんな大きな腫瘍を見逃していたら、
私は誤診したことになります。

CTは機械ですから、
不調なこともあるのです」

と、早々に診察室を
追い出されてしまいました。

狐につままれたような気持ちで、
家に帰る途中、

たしかに、ずっと感じていた
下腹部の痛みを感じないことに、
気がつきました。

命をもらったのかな?

2、3日経って、

ようやく気持ちが落ち着いた頃・・・

「命をもらったのかな?

私、まだ生きるのかな・・・」

と思い始めました。

その時から、私の死生観はガラッと
変わってしまいました。

それ以前は、

「生きている」

と漠然と感じていたものが、

理由はわかりませんが、

「生かされている」

と感じるようになりました。

それならば・・・

残りの人生を自分のためだけじゃなく、
自分以外の存在の役に立つように
使いたいと思いました。

「死」と向き合っていた時、
私の頭の中で、何度も何度も繰り返し
つぶやいていた言葉があります。

「ああ・・・

もしあと少し健康な時間があれば、

私のように死に逝く人たちのための

ターミナルセラピーを、

体系化していくことができるのに・・・

そうしたら、納得して死んでいくための
オプションができるのに・・・
(言い換えた方がいいかも)

そして、大事な存在を看取る立場の人たちの
ためのカウンセリングやセラピーも提供する
ことができるのに・・・」

心理セラピストの養成のために・・・

私が提唱している中野式メソッド

「愛着再形成療法」

「前世心理療法」などは、

まさに、ターミナルケア、緩和ケア、
グリーフケアに、応用できるものだと、
自分が「死」を覚悟して、
はっきりとわかったのです。

また、動物たちの救助も、
もっと別の形でできること、

そして、私が死んだ後も、
持続的に動物たちを救うようなシステムを
作りたいと、強く思いました。

それから、私は、心理セラピストを養成する
スクールを立ち上げるための勉強を、
本格的に、はじめました。

「死に逝く人」、そして「看取る人」ための
専門的なカウンセリングとセラピーができる
心理セラピストを養成するためです。

それから、約5年後・・・

「インナーアクセスヒプノセラピースクール」

を立ち上げました。

そのスクールを、10年運営して、
さまざまなことを、学びました。

その中で、いよいよあの時に決意した、

「死に逝く人」

「看取る人」

のため、そして、

「より良く生きる人」

のためのセラピーをも提供できる
心理セラピストを養成する学院の創立
を決意しました。

それが、この

「東京臨床心理療法カウンセリング学院」

です。

この学院では、

「より良く生きる人」

「死に逝く人」

「看取る人」

のためのカウンセリングと心理療法を
専門的に学べます。

これは、まさに私という存在が、
命がけで、残りの人生をかけて行う
事業となります。

私が亡くなった後も・・・

この学院で学んだ心理セラピストたちが、
社会で多くの人たちの人生や命を支えられる
ようになること。

それが、私の使命だと実感しています。

東京臨床心理療法カウンセリング学院

代表 中野 日出美